2022-10-18

もし、ひとりのさみしさが終わったとしても、また別の種類のさみしさがはじまるだけだと思っていたし、実際のところそうだし、だから死ぬまでずっとなんらかのさみしさを感じているのだろうけど、しかし「ひとり」をやめたことが無駄だったのかというと、そうではなかった。数ヶ月前は、そういうさみしさから出発して、さまざまなことを考えていた。考えることで、じぶんをかたちづくっていた。いわば、さみしさとは、よりどころだったのだ。

僕は、いつかの僕とはすっかり別人になっている。そして、それは僕が望んだことだ。さみしさを、ついに手放せたのだから。

手放すというか、正確には、さみしさ、などということは、ほんとうはどうでもよかった。そんなことよりも、誰にとっても等しく与えられた短い時間のなかで、もっと大切にしたほうがいいものがあった。いまは、そのきらめきに気がつくだけでも、「ひとり」をやめることには意味があったと思っている。