2022-09-25

からだもこころも分類しきれない無数のグラデーションで構成されているのだから、その人間どうしの関係もまた、名前をつけるのが間に合わないほどに多様なのだろう。解像度の低い「友達」や「恋人」のような定義があいまいなラベルを維持するために、らしくないことをしてみたり、犠牲を払うなんて、関係性の奴隷だと思っていた。

いま、孤独を信じなくなった僕は、らしくないことをしてみたり、犠牲を払ってでも、関係を大切にする。そうする気持ちもわかる。たぶん、そのほうが楽しいから。それだけで、理由はじゅうぶんだ。信じる気持ちと、諦める気持ちは、背中をつきあわせている。傷つくことも、終わることも、ひとりぼっちの部屋の奥の、どこかへつながっている半開きの扉から差し込む光のように思える。