2022-05-08

感受性という言葉の意味を調べると、感覚の刺激の強さの差を識別する能力とある。僕は野球にぜんぜん興味を持てないが、それは野球、というか球技全般をやったことがないからで、だから野球をとらえる僕の目の解像度が低いからなのではないかと思う。いちどでもキャッチボールをしてみたら、テレビのなかで投手がボールを投げる身体が、自分の身体の延長線上にあるとつなげられるのかもしれない(ほんとうにそうかは想像だからよくわからない)。大切なのは、僕たちは相対的にしか感覚の刺激の強さを捉えることはできないので、わからないということは比較するデータが存在しないというだけのことであり、なんらかの手段でデータを手に入れさえすれば、すべてのわからないことはわかる可能性を秘めている。だから、いますぐキャッチボールをしたほうがいい(野球に興味を持ちたいのであれば)。「わからない」と「わかる」は0と1だけど、解像度が「低い」と「高い」は0から1までのグラデーションのような気がして、そのほうが世界をバイナリで切り捨ててしまうよりも豊かに思えて、それを表現するキーワードとして解像度という言葉の存在が自分のなかで大きくなっている。