働いている会社が今回も職域接種の機会を設けてくれたので、3回目のワクチンを接種した。その前に喘息の病院の通院の予定があったので、逆算して接種の時間を11時半に予約していたのだけど、持ち前の人一倍の心配性を発揮して喘息の病院RTAをやってしまい、会場に10時に着きそうになってしまう。1時間半もどうするよ?ということで、下北沢で降りて渋谷まで歩いた。知らない街の知らない高校の前に、知らない入試の合格番号が並んでいる。知らない公園に立ち寄って、知らない池の知らない魚を見た。歩きながら、やってない仕事をたくさん思い出した。こんなことしてる場合じゃないのに、平日の昼間からなんでこんなところを歩いているのだろう。
大きめの本屋に通りかかったので、棚を順番に眺めるという贅沢な時間の使い方をした。世界の文学の棚に「ロシア」と書かれた札が刺さっている。ロシアにも詩人がいるんだよな〜 と思う。もちろんウクライナにもいるだろう。このあいだ手に取った中国の詩集は、装丁が美しかった。文字はいっさい読めなくても、手に取るだけで本から伝わる詩情があった。本とは、そういう言語情報と非言語情報を組み合わせた媒体なんだよな。だから、本は読めなくてもいいのだと思う。読んでもいいし、読まなくてもいい、それが本なのだから、本屋という場所は不思議だ。ロシア軍の兵士はどういう気持ちで戦車に乗っているのだろう。いっさい想像できない。これから、いま起きているできごとを、たくさんの人が、それぞれの立場から語ることになるだろう。その語りを聴いたら、想像できるようになるだろうか。