2023-02-13

人身事故で通勤電車のダイヤが乱れている。乗りきれなかった大勢の人たちといっしょに、プラットホームで次の電車の到着を待つ。この時間は、弔いの時間だと思う。最近、事故が多すぎる。そのたびに電車は止まるけれど、2時間も経てばまた動き出している。たった2時間ほどで動き出してしまうから、その経験が繰り返されるから、命の重さは「そのくらい」になってしまってはいないだろうか。たとえば、人身事故があったら電車は2週間ほど動いてはいけないというルールになったとしたら、命の価値は上がるのだろうか。そんなことを考えるよりも、そのような判断へ至らない世界にするにはどうすればいいのかを考えるべきだ。電車の到着を待つ時間や、ぎゅうぎゅうの車内で緩衝材のように運ばれる時間は、見ず知らずのだれかの判断を、そのような判断に至った世界で生きていることを、みんなで均等に分担して受け止める時間なのだ。

月曜日、週にいちど開催される、100人ほど参加する事業部のオンラインミーティング。だれかがログインするたびに、ウェブカメラで中継された窓がひとつずつ開く。ログインした人数が増えるごとに、画面のなかでひとりが占める面積はどんどん小さくなって、顔は小さくなって、やがて画面に入りきらなくなる。個人がゆっくりと組織になっていく。そのひとつに僕も参加している。このミーティングに参加する意義のひとつは、組織の実体を再確認できる、この時間にあるのではないか。

2023-02-11

チェーン店の喫茶店のレジに並んで、いざ順番がきて机に置かれたメニュー表を眺めても、なにも頭に入ってこない。居酒屋でメニューを見るときも、ファミレスでメニューを見るときもそうなので、こういうのがなんか苦手なんだと思っている。食べたいものがない、飲みたいものがない、そんなはずがない。むしろ酒を飲まないぶん食べ物には執着が強いとさえ感じる。それなのに、注文をともにする友達や会社の同僚に、あるいはチェーン店の喫茶店の店員さんに、みずからの欲望をあらわすのをためらってしまうのかもしれなかった。ほんとうに、そんなことは気にしなくていいのだと、わかっているのだけど。

小さな声でブレンドコーヒーをくださいと言うと、店員さんはサイズも聞かずにSサイズで会計をはじめてしまう。ほんとうは店内にしばらく滞在するかもしれないし、Mサイズくらいにしようかなと思っていたが、なんとなく言い出せずにSサイズのまま会計は進んでいく。「店内のご利用ですか?」あ、はい。「お席の確認はお済みでしょうか?」はい、と流れで応えたものの、まだ席は確認していなかった。2階もあるし、空いているだろうと思った。というか、列のうしろからプレッシャーを感じるこの場所からはやく立ち去りたいという気持ちのほうが強かった。小さなカップに注がれた、250円のコーヒーから湯気が立っている。

ゆっくりと階段をあがると、席はふたつどころか、ひとつも空いていない。顔を見合わせて、ぜんぜん空いてないね、1階も空いてなかったっけと、またも1階へ戻るも、あたりまえながらひとつも空いていなかった。凡ミスすぎる。「こういうときって、どうすればいいんだろう?」と友達がつぶやいて、笑ってしまった。そもそも、こんな場所でとりあえずお茶をしようとしたのだって、いっしょに行こうと約束したギャラリーが祝日で休みなのを知らずに待ち合わせたからだった。下調べがなさすぎて恥ずかしい。震える手でカップを持ちながら、席を探して1階と2階を往復する。しかし、この状況を僕は楽しんでいた。そもそも僕たちは、大学生のころからずっと、これくらいのSサイズなのだから。

2023-01-31

ほとんどの人にとってはどうでもいいかもしれないけど大切にしていることがあって、そういうことを大切にしていると気がついてくれる人と出会うたびに癒やされていく。1月はスタートダッシュだし、気合いも入っていたので忙しかった。忙しいというより、この状況に対して丁寧に接したくて気を遣った。時間を使った。ここに僕を呼んでくれてありがとう。声をかけてくれてありがとう。そういう気持ちで、たくさんの人と接した。どうすれば、もっとこの場所が豊かになるんだろう。そのために、どんなことをすれば貢献できるんだろう。深くうなずく人がひとりでもいるだけで、ミーティングの雰囲気はよくなる。聴いてくれる人には話したくなり、話したら誰かの話を聴きたくなる。ささやかなことが、すべてはメッセージになって伝わっていく。何度でも気づく。はじめることができる。いつでも、どこでも、たったひとりでも。

2023-01-02

あけましておめでとうございます。こんなところでひっそりとやっている個人的な日記を読んでくれて、いつもありがとうございます。昨年の元旦からはじめたこの日記も、書いたり書かなかったりの気まぐれを挟みつつ、マイペースに2年目へ突入です。

正月は恋人と過ごしました。こんな正月休みを過ごすなんて1年前は想像もしていなかったので、今年も思いもよらないことが起こるのではないかと思っています。なにもわからないけれど、そのなかでも確信しているのは、奇跡の飛距離は計算できなくても、戦略的に奇跡を引き起こすことはできるのではないかというのが僕の考えで、だから引き金をひくかどうかはいつだって自分に委ねられているということです。

大切なのは、いつでも引き金をひけるように準備しておくこと。ひきつづき、この日記ではstudyを繰り返しながら考えたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

2022-12-26

会社の年内の営業日は28までなんだけど、28は有給休暇をもらっていて、あしたは社外の会場を貸し切って全社員が集まる総会なので、個人的にはきょうが仕事納めという感じ。とはいえ仕事の引き継ぎもなんとなく終えていて、来年から異動する先の部署のタスクを先取りして進めたりしていた。フリーアドレスのオフィスにわざわざ早朝から出勤しているのは窓際に座りたいからで、空気が澄んだ冬の空の日没はほんとうにきれいなグラデーション。いまの部署の最後のミーティングでかんたんな挨拶をしたら、細々とした抱えていたものから解放されたような、ふわっとした感覚があって、帰り道もそれが続いていたので、通勤電車を思いつきで途中で降りて、駅前にあった大戸屋で夕食でも食べようということになった。

知らない街の大戸屋の店内はそこそこ混雑していて、けっこう騒がしくて、ほうじ茶も冷たかった。ワイヤレスイヤホンのノイズキャンセル機能をオンにしてradikoを開くと、アフター6ジャンクションのライブコーナーでtofubeatsが今年につくった音楽のミックスを流していて、聴きながらカキフライが4つ皿に盛られた定食を食べた。ふたくちで食べきれるほどのカキフライを、ひとくちめはタルタルソースをたっぷりかけて、ふたくちめはソースにたっぷりつける。それを4回くりかえす。食べながら、2022年、お疲れさまでしたという気持ちになった。これは打ち上げだ。ひとりで静かに、2022年の打ち上げをしていた。

tofubeatsのミックスのなかにchelmicoの「Meidaimae」という曲が流れていて、この曲もtofubeatsだったんだ!と驚きがあった。恋人と、恋人になる前、いまみたいに気軽に話せる関係になる前の、LINEのやりとりに一喜一憂していたような時期によく聴いていた。体験したことがない恋愛に直面して戸惑っていた。そういうのも2022年だった。いろいろあった、ほんとにマジで。でもなんか、仕事もプライベートもぜんぶいい感じになってよかった。楽しくて、うれしくて、大好きで、こころが震えるようなこともあって、感傷的になって、手紙を書いたり声を聴いたり、言葉に助けられたり信用しすぎるのをやめたり、それでもまあなんか、ぜんぶいい感じになって、こうやってカキフライにタルタルソースをたっぷりかけて食べてる。お疲れさまでした。

2022-11-10

もう1年半くらい通っている、会社の先輩から紹介してもらった美容師さんに髪を切ってもらう。店内に客が僕しかいないのもあって、けっこう踏み込んだプライベートなこともじゃんじゃん話してもらうのでドキドキする。誰に対してもこんなふうに話すのか、僕だからなんでも話してくれるのか。大切な先輩が大切にしている美容師さんということもあり、僕が話を聞くことですこしでも心労が軽減されたらいいなと思いつつ、べつにカウンセラーでもないのだし、考えすぎだろうとも思う。

オフィスでインフルエンザのワクチンを接種する。いい会社なので自己負担なしで接種してもらえる。あたりまえじゃないよほんとに、ありがたいよ。不活化されたインフルエンザのウイルスが左腕にいる。そのまま昼休みも兼ねて、お気に入りの立ち食いそばへ歩く。アスファルトに塗られた白線が消えかかっている。車や人の通りの多さが横断歩道の劣化として記録されている。世界の実感は、かすかな痕跡の集合だ。ウイルスは、誰かからやってきて、また誰かへ渡り歩く。そうやって通過されただけの、ネットワークのひとつになるような感覚。僕の身体に残された抗体は、果てしない新型コロナウイルスの旅を記録している。歩行者信号が変わるまでのすこしのあいだ、そんな世界を想像していた。

2022-10-30

見知らぬ番号からの電話にでると、やたら自然すぎて逆に気味が悪い合成音声が一方的に話しかけてくる。なんかよくわからないけど神奈川県がLINEと連携してAIが電話してきてるらしい。SFか。「はい、か、いいえ、でお答えください。パルスオキシメーターはありますか?」「いいえ」「体温は37.5℃以上ですか?」「いいえ」「ありがとうございました」会話というよりはコマンドラインインターフェース。たしかに人間がかけてきたとしても同じような会話だろうし、これで保健所の業務が軽減されているならいいよね。

ずっと、命の数が「人数」で数えられることに違和感を感じていた。数千人や数万人のなかに、名前をもったひとりがいることを、「人数」は表現できていないと思っていた。いま、感染者のひとりとしてカウントされる立場になって、こんなふうにシステムによって自動で処理されてみると、もはや「人数」なんてそんなに意味がある数字ではないのだと、いまさらながらに気がついたりもした。

あらためてインターネットの知り合いの人たちがそれぞれの日記に書きつけている新型コロナ罹患体験を読み返してみても、二晩ほど高熱でうなされるぐらいで済んだ僕のケースはかなり軽症のようだった。平熱に戻ったあとはそのままで、すこし鼻水がでるくらい、あとはひきつづき喉が痛くて声がちょっとダンディになっている。でも、それも治りつつある。食欲もあるし、味覚もおかしいとは思わない。もう週明けから在宅で働ける。行楽日和の週末、外出できない退屈な時間を潰せるようなものは身の回りに無限にあるけれど、それらのどれもやる気が起きず、ひたすら眠ったり、恋人と何時間も電話をしていた。

2022-10-29

オフィスへ出勤して集中して作業してたら、なんか頭いたいかも?と思って帰宅したのが水曜日。よく眠れば治るでしょと思って深く考えず、翌朝に起きたら若干の喉の痛み。出社の予定を在宅勤務へ切り替えたものの、だんだん寒くてたまらなくなり夕方に退勤、市販の風邪薬を飲んで眠る。21時に目が覚めると体温が37.5℃。やっちまった〜。YouTubeで風邪を1日で治す方法とか都合のいい情報を調べる。首を温めるぐらいしか言ってないものばかり。翌朝6時、体温が38.5℃、唾液をのみこむたびに喉が痛くてつらい。これは… アレなのか?ついに?むかしから流行りものにはすぐ飛びつかない性格だったけど、このタイミングで罹ったりする?と思いながら、こういうときどうしたらいいのかわからず検索してでてきた『川崎市新型コロナウイルス感染症・ワクチン接種コールセンター』へ電話する。朝6時半なのに、めちゃくちゃ落ち着いた男性の声。たいへんな仕事だ。抗原検査キットをドラッグストアで購入するか、かかりつけの医者で発熱外来があれば行くようにとのこと。手元に1個くらい持っておけばよかったなと思いつつ、持病の喘息で通院してる内科は9時から電話で受付なので、ひとまず手持ちのロキソニンを飲んで眠ることにする。携帯電話の契約プランのahamoについてる5分通話無料、電話とか使わないな〜と思ってたけど、いまめちゃくちゃ活用してる。ありがとう。

8時に目が覚める。体温は38.8℃。ロキソニン効かないやないかいとひとりでツッコむ。気晴らしにAmazon freshでスープやカップ麺や冷凍食品を爆買いする。ポカリスウェットも箱買い。どうせこれから1週間ぐらい出られないかもしれないし。3時間後ぐらいに届けてくれるらしい。便利すぎてやばいね現代。9時になじみの内科へ電話するも通話中。鬼のリダイヤルDDoS攻撃。やっとつながったら、受付の人のあ〜やっちゃいましたねという軽いリアクションで思わず笑ってしまう。15:30にふだんとは別の入口から入ってくださいとのこと。なんかドキドキしちゃうね。無事に予約できた安堵からなのか、ロキソニンがやっと効いてきたのか、体温も平熱で楽になる。このまま医者の前では元気になっちゃう人だったらどうしよう。さっきまで苦しかったんです、信じてください。会社のチャットに全休しますと連絡して、食器を洗ったり眠ったりしてたらAmazonがきて、配達員のおじいさんにうつさないようにマスクして受け取り。録画したテレビを観たり好き勝手に過ごしてたらだんだん体温が上がってくる。わたしたちに許された特別な時間の終わり。

かかりつけの内科はコロナ禍以降にできた新しい病院だから、発熱外来としてATMがある部屋みたいな半畳ほどの個室があり、小窓から保険証を渡したり体温計を受け取ったりできるようになっている。控えめにいって独房。あたりまえだけど看護師さんの態度もそっけない。感染症の患者ってこういう気分なのか。べつに飲み会とかも行ってないし会社でまじめに働いてただけなのに、なぜこんな目に遭わないといけないのか。人生は短い、もっとやりたいことやらないと理不尽に死んじゃう、などとBADモードな思考のまま小部屋で10分ほど待っていると、防護服を着た先生が扉を開けてくれた。「つらかったね〜」問診の先生のやさしい言葉が沁みる。初PCR検査。みんな唾液を出すのに苦労したという話を聞いていたけど、犬みたいにじゃんじゃん唾液が出てくるので一瞬で終わった。ちょっと恥ずかしい。解熱剤と喉の炎症を抑える薬をもらう。帰り道、寒くて寒くてたまらない。全身が漫画みたいに震える。帰宅して体温を測ると38.9℃。もらった薬を飲んでさっそく眠る。長い夜のはじまり。一晩中、ずっと39℃前後でキツかった。喉の痛みも広がり、ずっと口を開けて呼吸していた。

翌朝5:30に目が覚めると、体温は37.0℃。牛乳かけたフルーツグラノーラをちびちび食べて薬を飲む。山は越えた感じ。ただ頭は重いのですこし眠る。お昼ごろ、きのう検査をした内科から電話がかかってくる。「あのね、陽性だったよ」「あっ そうなんですか〜」合格発表みたいな気分。これでコロナじゃなかったらなんなのか。QRコードを読み込んで『神奈川県陽性者登録窓口申請フォーム』に入力。フォームはkintoneで作られていた。そのあとLINEで神奈川県と友だちになり、これから朝に異常ないか聞いてくれるらしい。職業柄このあたりのユーザー体験が気になって改善したくなる。県職員になればいいのだろうか。とりあえず職場の上長に社内のチャットで陽性を報告。それから、恋人に報告。気を遣ってくれてうれしい。いま生きる希望は恋人の存在しかない。このまま症状が落ち着いてくれたらいいのだけど。

2022-10-18

もし、ひとりのさみしさが終わったとしても、また別の種類のさみしさがはじまるだけだと思っていたし、実際のところそうだし、だから死ぬまでずっとなんらかのさみしさを感じているのだろうけど、しかし「ひとり」をやめたことが無駄だったのかというと、そうではなかった。数ヶ月前は、そういうさみしさから出発して、さまざまなことを考えていた。考えることで、じぶんをかたちづくっていた。いわば、さみしさとは、よりどころだったのだ。

僕は、いつかの僕とはすっかり別人になっている。そして、それは僕が望んだことだ。さみしさを、ついに手放せたのだから。

手放すというか、正確には、さみしさ、などということは、ほんとうはどうでもよかった。そんなことよりも、誰にとっても等しく与えられた短い時間のなかで、もっと大切にしたほうがいいものがあった。いまは、そのきらめきに気がつくだけでも、「ひとり」をやめることには意味があったと思っている。

2022-10-11

三連休明けの出社。秋晴れの気持ちいい天気で、気分はよかった。

よく食べていたセブンイレブンの照り焼きチキンのサンドイッチは、鶏肉が板ガムくらい薄くなって、ふたつある片方にはレタスも入ってなかった。わかりやすく原材料や製造コストの高騰を感じるとともに、物価の値上げって同じものの価格が上がるわけではなく、品質を落としたうえで値上げしてるんだよね。誰も悪くないし、それが努力なんだとしても、こんなふうにさみしさを感じるくらいなら食べないほうがましなようにも思える。思い出のなかの照り焼きチキンのサンドイッチを大切にしたほうがいいような。

僕はいつも、ここではないどこかへ行く途中だと思っていた。いつかどこかへ行くために、仮の場所を借りているのだと思っていた。仮だから、満足できなくてもかまわない。そう考えれば、どれだけ足りなくても、こんなところにいることが不本意だとしても、受け入れられるような気がした。そういうやりすごしかたが、そろそろ効かなくなっているように感じる。ここではないどこかなんて、どこにもないということに、だんだん気がつきはじめている。