2022-09-01

野球ってつくづく不思議なスポーツだ。大雨で1時間ほど中断しているあいだ、テレビではびしょびしょのスタジアムの風景の中継映像を見ながら、実況と解説者が延々と雑談をして場をつないでいた。野球は、効率とか、生産性なんてことは考えない。実力と成果を前提にしつつ、最後は情が優先されるように見える。中日ドラゴンズを相手に3連勝した横浜DeNAベイスターズは、あしたから広島へ行かないといけないのに、夜10時を過ぎても野球をしている。野球選手には残業がない。田中健二朗という投手が7月に怪我をして、きょう一軍へ復帰した。投げる姿は、その一挙手一投足が、すべてかっこよかった。打たれても、仲間が捕ってくれる。グラウンドに離れて立つ選手のあいだに、信頼関係が見える。野球が好きなのか、野球選手が好きなのか、だんだんわからなくなってくる。野球は、ボールではなく想像のやりとり。物語を強制的に発生させる装置。手に汗を握ったり、喜んだりして、きわめて具体的な人間の身体能力を扱いながら、どこまでもファンタジー。スタジアムから帰るのは、ディズニーランドから帰るのにそういえば似ていた。

2022-08-30

たま〜に感想をツイートしてもらうことがあるので、自分のポッドキャストの番組名のハッシュタグに新しい投稿があったら通知するようにしている。それで通知があったので見にいくと、知らない人のポッドキャストの「おすすめのラジオ番組はありますか?」という質問への回答のなかで触れられていたようで、聴いてみたら、匿名ラジオや叶姉妹のファビュラスワールドに並んで、なぜか僕のポッドキャストが紹介されていて笑った。穏やかな気持ちになりたいならおすすめとのこと。

いつかアイスクリームが溶けないように小走りで帰った道を、きょうは歩いて帰る。もう僕にはアイスクリームは必要ない。さみしさは続かない。だから、さみしいは原動力にならない。インターネットに乗って、声はどこまで遠くへ届いているのだろう。

2022-08-29

花瓶に飾っていたひまわりがゆっくりと枯れた。水を替えるくらいしかしてなかったけど、2週間ぐらいもってくれた。花が季節を持っていったみたいに、気がついたら会社へ着いても汗をかかないくらいの気候になっている。背中に誰かのスマートフォンの角が当たるくらいには混んでいる通勤電車。なにもかも、ゆっくり元へ戻っていく。昼休みは意味もなく遠くのコンビニへ散歩がてら昼飯を買いにいく。そういえばカレーフェスも北海道フェアも知らないあいだに終わってた。オフィスへ戻ろうと歩いていると、これからランチへでかける会社の人とすれちがって、すれちがいざまにリサラーソンの柄のエコバッグを指さして「かわいいね」と褒められた。

2022-08-26

つい3ヶ月前までは野球なんか1秒も観てなかったわけで、自分のかたちなんてかんたんにコロコロ変わるんだろうなと思う。変わりつづけることを受け入れる。僕も、他人のことも。関係性も、役割も、責任も、性別も、変わりつづける瞬間のスナップショットにすぎない。楽しい気持ちになったり、愛しい気持ちになったり、おそらくあっというまに終わってしまう人生を、それぞれにとっていちばん良い過ごし方ができればいい。始まるときはいつも終わることを考えてしまうけど、いちどでも経験した良い時間のことは、ずっとつづいていくように思う。そういう時間は、積み重なって、別の時間へつながっていくから。

給料を査定してもらうために評価資料を書かないといけなくて、この半期に終えたタスクを見返しているのだけど、そのときに必要になったことを打ち返しているというか、数ばかりこなして、タスクどうしの関連を見出したり、理想の未来を考えられなくなっていることがわかる。2年後の自分はどうなっていたいのか?とか、必死こいてやってる手元の作業がめぐりめぐって社会へどんなふうにすこしでも良い影響を与えられるのか?を答えられないことに課題を感じてる。とにかく言葉にする力が弱い。

2022-08-24

唐揚げ用に切ってある鶏もも肉を入れたジップロックに酒と小麦粉とマキシマムを目分量で加えたあと、よく揉みこんだら冷蔵庫にしまって、風呂に入る。風呂からあがったら、それをフライパンに多めにひいたごま油で表面がカリカリになるくらい揚げるように焼いて、黄色いパプリカとズッキーニ、ズッキーニが売ってなかったら茄子をひとくちサイズに切って入れて、だいたい火が通った感じになったらオイスターソースと酒を回しがけ、砂糖と醤油をすこし入れて煮詰める。それをちびちび食べつつ、ノンアルコールビールを飲みながら、テレビを観てる。録画したきのうの深夜番組。僕が眠っているあいだに放送されていた笑い声。

先日のフジロックのYouTubeの配信を観てから、クラムボンの「タイムライン」って曲をよく聴き直してる。ちょうどライブがはじまるのが午後5時からだったのにあわせて、会場では時報の音が鳴っていたのを思い出す。この曲の歌詞には、心の底から共感する。

タイムライン

タイムライン

  • クラムボン
  • J-Pop
  • provided courtesy of iTunes

2022-08-23

会社へ行く前に髪を切ってもらった。シングルマザーの美容師さんの子どもがUSJへ泊まりがけで遊びに行くので、3日間ほどひとりで過ごせる時間ができたらしい。なにをするんですかと尋ねると、ほんとうはひとりでいたかったのに、あまりにも自由な時間がうれしくて友達に自慢して回ったら、次々と食事だの旅行だの誘われて断れずに苦しいとのことだった。人気者の苦悩。

帰り道に本屋へ寄って、滝口悠生の「死んでいない者」と「茄子の輝き」という小説を買う。まだ読んでないけど、いいタイトルだなと思う。

夕飯を買うついでに、セブンイレブンのネットプリントの機能を使って配られている、もっちょさん、という方が発行している「もたより」というフリーペーパーを印刷する。もっちょさんの顔も声も知らないのだけど、インターネット越しに書かれた、日記のような手紙のような、不思議な手触りがする手書きの文章から、人柄を想像しながら読んだりしておもしろい。自分にとってはあまりにも日常的な風景であるコンビニエンスストアの隅で、Twitterに書かれた秘密の8桁の数字をコピー機のタッチパネルに入力していると、これが日常へエラーを引き起こす裏コマンドのようにも思えてくる。その出力が、A4サイズの白黒の紙が1枚だけということも含めて。

2022-08-21

じゃあまたねバイバイ、と手を振りながら電車を降りて、それから帰り道をひとりで歩きながら、右手の感触を思い出していた。触れたいと思って、手を繋いでいい?と聞いたら、いいよと応えてくれたので、手を繋いだのだ。すこし強く握ると、握り返される力を感じた。手を伸ばせば触れられる距離に好きな人がいて、触れたいと思って、その気持ちを受け入れてもらえたことが、うれしかった。ずっと、そうしたかったから。仕事をする右手も、詩を書く右手も、バイバイと手を振る右手も、ぜんぶ僕の右手で、僕がずっとそうしたかった右手で、その気持ちを伝えて握り返してもらった右手だから。

2022-08-16

横浜DeNAベイスターズ、本拠地12連勝で球団新記録。選手たちが、みんなひとりずつ、ほんとうにかっこいい。野球を見はじめたときは勝ちとか負けとかそんなに大切なのかなと思っていたけど、勝ちにむかって真剣になっている選手のすがたや、おなじ気持ちを共有する喜びから、勝つことの価値を感じるし、野球を楽しんでいる彼らを見たくて応援したくなる。

「やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)」を読む。おもしろそうでずいぶん前に買ったものの、読まないまま本棚に差しっぱなしだった本。スイッチが入ってどんどん読める。大学の同級生が、本は時限爆弾だから、買ってすぐに読まなくてもいいんだよと話していたのを、いつも思い出しては勇気づけられる。アイオワ日記は、さまざまな国から30人ほどの作家たちが集まったアイオワ大学での3ヶ月におよぶ滞在プログラムに、日本からひとりで参加した滝口悠生さんによる日記。言葉の壁を越えられずに、わけもわからないことばかりが起きるなかで、かすかな理解や共感の糸をたぐっていく。日記のなかの滝口さんはひたすらに冷静だけど、それは冷たいというわけではなく、目の前のできごとを真摯に見つめているまなざしがあって、主語の大きな興奮した言葉ではなく、こういうサイズの手触りが感じられる言葉を使いながら穏やかに暮らせたらいいだろうなと思う。

葉山で買ったアレック・ソス展の図録がA6サイズの小さな本で、このくらいのかわいい本を作ってみたいなと思って、ずっと気になっていたミシン糸で中綴じしてくれる大阪の印刷所に紙のサンプルや色の見本を注文した。僕はできないこともたくさんあるけど、やりたいと思ったことなら、だいたいできてしまう。そういう小さな自信を、ちょっとだけ思い出した。

2022-08-14

眠ってばかりの夏休みだったけど、ぼーっと過ごすことができて、だいぶ休めたなあという感じがあって、よかったです。これから先、やりがいがあって楽しみなことがいくつも待っているので、がんばるぞ。穏やかな気持ちです。ありがとうございました。

同人誌へ詩を寄稿するにあたって自己紹介を150字程度で書く必要があって、すごくむずかしい。これまで肩書きを求められたときはいつも「Webデザイナー」とか適当に答えてしまっていたのだけど、Webデザインが詩を書くことに関係しているわけでもないし、というかWebデザイナーじゃないし、ましてや詩人なんて名乗れないし… って思うと、平日の日中を会社で働きながら昼休みとか週末に詩を書いたり、自作の詩を声に出して読んでいる人、ということを丸めて「会社員」になってしまう。これは覚悟の問題で、そうやって名乗ってしまったら会社員になるのかもしれないし、名乗りさえすれば詩人にもなれるのかもしれない。ここまで書いておいて、肩書きなんて自称するものではなく過去の実績だけが自己紹介してくれるのだろうなと思ったので、もっと戦略的にやっていこう。

2022-08-13

眠くて眠くて、眠ったり食べたり眠ったり、テレビを観ながら眠ったりしていた。よく眠ってすっきりした。ベッドに横たわって、高橋源一郎の「ぼくらの戦争なんだぜ」を読む。戦時下に使われた教科書、戦時下に書かれた詩、戦争を描いた小説がたくさん引用されている。本のうち半分くらいは引用なのではないかと思うくらい。DJが曲をつなぐみたいに、引用に次ぐ引用によって、べつべつに書かれて読まれた文章がつながって、点がやがて面になっていく。おもしろかった。そして、戦争はある瞬間から突然はじまるようなものではなく、もうゆっくりはじまっているのかもしれなくて、恐ろしくなる。

8月5日の夜に、広島から放送されていた高橋源一郎のラジオも聴いた(もう配信が終了しているのでリンクを貼れない)。ゲストが古市憲寿で、著書のなかで「僕たちは、戦争を知らなくていい」というすごい結論へ至っていて、それはよく知らない「戦争」ではなく知っている「平和」を根拠にするべきなのではないかという考えからなのだけど、そういう人が被爆体験の語り部の人と会って話す、という内容。このトークもすごくおもしろかったのだけど、番組の最後の高橋源一郎の言葉におおっと心を動かされた。

つまり、経験者が語れるってことになると、経験してない人は語る権利がなくなっちゃうんですよ。これが、もしかしたら戦後の大きい分断ね。経験した人が偉くて、経験してない人は黙ってろと。なにかを分離するものは、根本的によくないよね。それはまだ、そういうものははじまってないのかなと思って、そういう分断を超える語りみたいなものを、ぜひ古市さんもやっていただけると、うれしいなという。

8月15日の夜にも太宰治と戦時下の詩人の作品を取り上げた放送があるようなので、楽しみ。

最近は「(((さらうんど)))」って名前の人たちの新しいアルバムがよかったのと、いま夏休みってことで、ザ・なつやすみバンドの曲を聴いてる。活動休止しちゃったの残念だよなあと、たまに思い出す好きなバンド。