2022-07-08

さみしいなと思う。心にぽっかりと穴があいたようなさみしさ。このさみしさは、生きているかぎり抱きつづけないといけないものなのか、それともいつか満たされて感じなくなってしまうようなものなのか。もし、このさみしさを共有できたとしても、補いあうことができるようなものなのか。12回まで続いた野球の延長戦は同点で終わって、近所のコンビニまで歩いた。暗くて静かな街に、蝉の細くて長い声が響いている。こんな夜が、ずっと続きそうな気がしてしまう。ビニール袋のなかのアイスクリームが溶けないように、すこしだけ早足で歩く。もういい大人なのに、僕はさみしくてたまらない。

2022-07-07

寝床に入ってうとうとしていたら、そういえば取引先からメールが届いているのではと思い出して、ガバリと起き上がってメールボックスを見たら届いていた。べつに明日でもいいんだけど、今回から担当者が僕へ交代になったので、前任者よりも早く返信することによって、やる気のあるやつと思われて良い関係を築けるのではという下心もあり、すぐに返信した。社会人11年目にもなるのに、ビジネスメールの書き方なんか教わったこともないし、自分に想像のなかの会社員を降ろしてきて雰囲気でやっている。名刺の受け渡しとかも。

会社員は、仕事から属人性を排することが求められる。人に依存したシステムは、人が入れ替わる組織にはリスクになる。誰でもできるようにしておけば、分担や交代といったリソースの分散もやりやすくなる。というように建前はそうなっているけれど、現実はその仕事がどんなに細かなオペレーションにすぎなかったとしても、担当する人の小さな工夫や、性格、モチベーションが大きく関わっていて、成果の質もまったく異なるように感じる。やる人によって質が異なるなんて状態はじゅうぶんに仕事が構造化できていない証なのかもしれないが、どんなに構造化できたところで、人への依存を消しても成立するような仕事は人以外へ置き換えが可能でもあるということでもあるので、人間としてはつまんないだろうなと思う。

なにが言いたいのかというと、俺だから回ってるんだぞって思うし、僕だからうまくできなかったんだなとも思うし、浮かれたり落ち込んだりを繰り返しながら、それでたまに退職する仲間を見送ったりとかしていると、なんかちょっとうらやましくもなるし、でも会社は好きだし、仕事も好きで、まだやりたいことはたくさんあるので、いつまでも慣れない会社員をがんばってるんです、ずっと。

2022-07-05

備品を注文したけど、そういえば宛先に会社名を書いていなかったことに気づいた、帰りの電車。あした使うので届かないと困る。届くかなあ。まあ届くでしょう。残業中にチョコレートを食べるだけで喉につかえて不安だ。Googleマップで耳鼻咽喉科を調べる。最寄駅に星が4.5のところがある →「待ち時間は結構あったけど先生も看護婦さんもめっちゃ人柄が良かった!おすすめ」よさそう。そういえば、そろそろ生命保険に入っておこうと思っていたのだった。まだ入ってないの?という感じだけど、独身だと全然そんな感じだ。いつだったか県民共済のパンフレットを請求したら、僕の名前が入った卓上カレンダーが同封されていてウケたのを思い出した。ウケただけで、めんどくさくなって申し込んでなかった。待ち時間の長い耳鼻咽喉科へ行く時間などない。備品があした届かなかったら、あさっても出社しないと。東急ハンズへ行ったほうが早いだろうか。そんなことを考えながら駅へ到着する、帰りの電車。

2022-07-02

ロイヤルホストでパンケーキを食べた。33歳にしてロイヤルホストへ訪れるのは初めてで、平野紗季子がロイヤルホストへの愛を語るエッセイを読んでから行ってみたいなとずっと思っていたから、思いがけない機会の到来に感激していた。そんなふうにはしゃいでいたことも関係していると思うが、パンケーキは大変おいしかった。焼き色がよく、ビジュアル的にわかりやすい厚さはないものの、口に含むとふっくらと弾力を感じる。そんな完成度の高いピースが3枚きれいに重なって、アイスクリームのようにドーム状に泡立てられたバターがちょこんと載る。ていねいに小瓶で運ばれてきたメープルシロップをまわしかけると、100点。メニューの写真から受けた期待を裏切らない、絵に描いたようなパンケーキ。いや、パンケーキなんて気取った名前ではなく、あえてホットケーキと呼びたいが、これから無性にホットケーキを食べたい気分になったら、ロイヤルホストへ行こうと思いました。

たとえば会社なんかで働いているとよくあるのだけど、大きなシステムのなかで、システムを構成する一員としてのふるまいを求められても、なるべく人間でいたいって思う。その人間っぽさとはどういうことかというと、ふつうに考えたらそうするでしょ、ということをするというだけのことなんだけど、なぜかできなくなる。誰かと話すとき、聞くことと話すことを同時にしている。聞くだけでなく、話すだけでもなく、聞くことによって話したいことが呼び起こされ、話したことが聞いてくれている相手に作用する。それがふつうでしょって思う。きょうは、ふつうのことが、たくさんできた。奇跡みたいなふつうが、きらめいていた。

2022-06-30

ミーティングが19時に終わって、オリジン弁当でチキン竜田生姜焼き弁当と、チョレギサラダを買って歩いて帰る。日中の熱を貯め込んだアスファルトが、石焼きビビンバのように街を温めている。ぬるい夏の夜。とか、ぼんやり感傷に浸れるのも、エアコンの効いた部屋でぬくぬくと働けるような仕事をしているからだ。世の中を支えるさまざまな職業に引け目を感じながら、リスペクトの心は忘れないよ。それに、僕らも、それなりに疲れてはいるので、許してほしい。じっくりと遅くまでやっていたベイスターズと阪神の試合は、最後にベイスターズが逆転して勝利を収めた。グローブが体に触れたか触れないかビデオ検証していた審判が走ってきて「セーフ」のポーズをすると、優勝したかってくらいベンチの選手たちが一斉に喜んでいた。あの審判、気持ちいいだろうな。全身で感情を爆発させている人の姿には心を動かされる。野球はボールではなく想像のやりとり。システムのなかに名前を持ったひとりの人間が立っていて、想像のむこうに期待された自分の姿を追いかけている。そんな野球選手をかっこいいと思うのは、ほんとうは名前を持っているはずの会社員の僕だって、そうありたいとあこがれるからだ。

2022-06-29

会社の帰りに下北沢で降りて、B&Bという本屋で「往復書簡 ひとりになること 花をおくるよ」を買って読んだ。写真家の植本一子さんと、小説家の滝口悠生さんが、半年ほど送りあった手紙が載っている。そこで話されているのは、家族のこと、性別のこと、日記あるいは小説を書くこと、いなくなってしまった人のこと、そして、ひとりになること。一子さんの正直で切実な言葉に、滝口さんの真摯な返事が重なって、やりとりに胸を打たれる。

なので一子さん、なんか困ったりしんどいときに、あそこに行けばいいのではないかと思った行き先がうちだったときは、夜でも大丈夫なので来てみてください。娘は寝ているかもしれないし、僕も妻もしっかり歓待する余裕があるかわからないけど、心細いひとがやって来たら迎えられる家でありたいと思っているし、そんな思いがけない出来事を迎え入れられる人生でありたいと、僕も、たぶん妻も、思っています。

とても共感する。僕も、いつでも思いがけない出来事を迎え入れられる人生でありたいよな〜と思っている。家族だろうと友人だろうと、その関係性にありふれたラベルをつけようともつけなくとも、気の知れた人たちと助け合って生きていけたらいいなと思う。

野球の試合の時間はまちまちで、長いときはナイターだったら21時半まであるけど、短いときは21時前には終わってしまう。テレビ神奈川はヒーローインタビューの中継を終えると、用意していた時間の残りを埋めるように神奈川県の風景の映像へ切り替える。ドローンで空撮した三浦海岸は美しい。横浜DeNAベイスターズが試合に勝ったあとは、スタンドから応援団が「横浜市歌」を演奏しているのが聞こえる。横浜市で育ったこどもなら誰もが歌える(かもしれない)、小学校の校歌と同等におなじみのメロディ。野球を見るようになってから、こんな僕でもすこしは神奈川に思い入れがあったんだな〜と気づく。

手荷物は軽くしておいて、いつでもどこへでも行けるようにしておきたい。それが「思いがけない出来事を迎え入れられる人生」だと思うから。そう思いつつ、それなりに長くいた場所には愛着があるし、人間関係だっておなじだ。大切なものが増えていくと、部屋はどんどん片づけられなくなっていく。

2022-06-27

ただ通勤してるだけなのに、じぶんの身体からこんなにも水分が出るんだというくらい汗をかく。そういえば毎日会社へ通っていたころ、夏の日は着ているTシャツとは別にもう1枚かばんに入れておいて、会社に着くなりトイレの個室で着替えるみたいなことをしていた。部屋で、ずっとひとりで過ごしていた2年間は、身体が見えなくなっていたのかもしれない。たかが通勤だとしても、こうやって移動したり、汗をかくことで、身体の存在がよみがえってくる。日が沈むすこし前の、生ぬるい渋谷を駅にむかって歩いていると、前世のように忘れていたコロナ禍の前の記憶が呼び起こされる。うまく思い出せないけど、たぶん楽しかったんだと思う。

2022-06-25

青いアジサイが咲いている。取り囲む葉や枝が、背景やカメラとアジサイのあいだに割り込んで、アジサイと重なって見える。青いアジサイが咲いている。取り囲む葉や枝が、背景やカメラとアジサイのあいだに割り込んで、アジサイと重なって見える。

6月には異常なほどの真夏日。すこし遠くまで散歩して、写真を撮った。思い返せば2週間ほど、雨だの仕事だの、ずっとこうやって写真を撮りたくて悶々としていた。だから、思う存分にたくさんアジサイの写真を撮って満足した。写真を撮るのは、世界を捉える解像度を上げる活動だ。車道の脇に生えている名前も知らない植物が、朝日に照らされて光っている。その美しさを感じられることは、僕たちが生きているこの複雑でワンダーにあふれている世界の実感へつながっていくと思っている。なんでもないような写真を撮るのは、それがなんにもならなかったとしても、大切な時間になっている。

車道の脇に生えている名前も知らない植物が、朝日に照らされて光っている。

2022-06-23

今週をきちんと終えられたら、ストレスを感じている仕事もぐっと軽くなるはず。というわけで、自分で言うのもなんだけど、がんばっている。なぜか腰が痛いけど無視している。こうやってわちゃわちゃしているあいだに、気がつくと7月になってくれていたらありがたい。もうすこしで扉が開きそうなんだと思いながら、快速急行に乗り込んでいる。ただマスクをしているかどうかぐらいで、もう渋谷は元通りになっている。長かった雨の季節を乗り過ごして、まもなく僕たちは夏へ到着する。

2022-06-21

終わったと思って洗濯機を開けたら、ネットに入れたあと洗濯機へ入れてなかったことに気がついた。2回目の洗濯が終わるまで日記を書きます。いろいろ重なって、きょうはミーティングが8時間あった。議事録を開こうとNotionへアクセスするとNginxの500エラーの画面になって、Notionが落ちてるなんてめずらしいねと話していたらCDNの障害でいろんなインターネットのサービスがアクセスできなくなっているようだった。こういう仕事をしていると、サービスがふつうに切れ目なく提供されているのは、たくさんの人々の知恵と努力の結晶から成り立っていることを実感する。それを知っただけでも、こういう仕事をしている意味はある。仕事を通していろんなことを知っていく。結局のところ仕事とはモチーフにすぎなくて、目の前にある仕事と呼ばれているものを、いま自分がほしいものへ見立てて手に入れていくだけのものだ。仕事を見たままの仕事としてしか捉えられない人は、つらいのではないかと思う。詩を書くとは、遠くにあるものを近くへ引き寄せる技術のこと。世界を別のものへ変容させるには力がいるけれど、ばらばらな世界をつなげることでも目の前の景色は変えられる。ひとりぼっちでも革命はできるし、動かなくても旅はできる。だから、詩は、役に立つ。