頭では、わかっている。こうしたほうがいいだろうな… ということはわかっているのだけど、気持ちがついていかなくて行動に移せない。僕も、やさしさや、愛情を受けているなあと感じることがあったなら、それは当然ではなく、相手のなかで相当なハードルを越えて実行された行動だということを忘れないようにしたい。僕たちは時間をお金へ交換しているわけじゃないし、仕事で得られるものは給料の額面みたいに定量的でわかりやすいものだけじゃない。みんな、それなりに長い時間をかけて、この椅子を勝ち取った。組織って、ほんとはもっと自分たちの手で自由に変えられるものなんだ。水面に一滴のしずくを垂らすくらいの小さなアクションだとしても、波紋のように広がって、ゆっくりでもたしかに全員へ届く。そう信じてる。
2022-06-06
ありふれた僕たちの、自分で話さなければ忘れてしまうような物語。なにを感じて、どんなふうに考えて、次はこうしようって思った。そうやって繰り返すことが積み重なって、ひとりひとり、かけがえのない存在になっていく。それぞれが、そのときに興味のあることを、思うがままに探求できていればいい。そういうことを手伝えたらいい。寄り添えたらいい。インターネットで、孤独がつながっていく。それは孤独からの脱出というより、孤独を民主化しているのだと思う。だからこそ、話しつづけるのは大切だ。ありふれた僕たちの、自分から話さなければ、どれも消えてしまうような物語ばかりなのだから。
2022-06-04
Twitterでフォローされたアカウントを見にいくと、Bio欄に貼られたnoteやInstagramへのリンクに混ざって、ひっそりとポッドキャストのURLがあり、アクセスすると30分の音声ファイルが1本だけ投稿されている。再生すると、知らない人が小さな声でゆっくりと話していて、そのうしろに雨の音がずっと流れている。話を聞きながら、その人が暮らしている街では、その日は雨が降っていたのかもしれないと思った。それとも、マイクの音質が悪くて、電気信号のノイズが雨のように聞こえているだけなのかもしれない。20代であること。数年間のあいだ働かないでいること。北海道に住んでいること。でも、好きな人は東京にいて、恋愛がうまくいっていないこと。学生時代は宇宙人と呼ばれていて、大人になったら発達障害の診断を受けたこと。また気が向いたら話すかもしれないです。おやすみなさい。最後まで、僕は聞いていた。こうやって、たしかに誰かが話を聞いていることが、話している人がその事実を知らなかったとしても、とても大切なことのように思えた。
2022-06-01
うちの会社では毎年6月1日に有給休暇が付与される。2年前に付与された残りの17日分が消えて、新たに有効期限2年間の有給休暇が25日分が付与された。ということで、1年前に付与されて手つかずのままの25日分と合計して、有給休暇の残数はぴったり50日分となった。改めて言っておきたいのは、うちの会社は休みが取りづらい雰囲気ではないし、フレックスタイムかつ在宅勤務も取り入れた柔軟な働き方ができているために休暇を使わなくても問題なく対応できているという証でもあって、そもそも有給休暇がきちんと付与されている時点で恵まれているのだし、だから不満はない。そして、休暇をきちんと使うのは当然だと思うし、使えている人はちゃんと使えていてえらいと思うし、周囲のメンバーも気兼ねなく休みやすくなる側面もあると思うから、機会があれば僕も積極的に使いたいと思う。そのうえで、そのうえでのことなんだけど、ほんのすこしだけ、釈然としない思いがまったくないかというと嘘になる。頭ではわかっている。おそらくこれは、並盛をちびちび食べている僕の横で、同じ料金なのに大盛をかきこんでいるやつがいるみたいなことだ。考えてもしかたないことであり、同じ軸で考えたら負けてしまうこと。休めばいいじゃん、というたったそれだけのことなのに、仕事の成果と自己実現が重なると難しくなる。このままずっと時間が足りないという思いのまま走り続けているうちに、なにかの拍子にコースアウトして突然なにもかも終わってしまうのかもしれない。そんなこと考えなくていいし、あとから思い返したら笑ってしまうと思う。はやく、こんなことを考えなくていいようになりたい。もう33歳なのに、はやく大人になりたい。
2022-05-30
言葉の力は信じるが、言葉そのものは信じない。言葉はひとつめの関門を突破するための道具であって、いわば漫才でいうところの掴みのようなもので、掴んだところで中身がなければ意味がない。僕は、言葉の使い方だけをうまくなろうとしていた。そのことに、やっと気がついたんだ。成長はいつも挫折からはじまる。だから、たぶん大丈夫。どんなに遅く眠っても、夜が明けたら目が覚める。会社というよりは、ここではないどこかへ行くために乗り込む小田急線が、夏への扉のように思えた。
リサ・ラーソンのハリネズミの柄の、小さなかわいいエコバッグ。昼ごはんに困ったら、それだけを左手に持って、適当に散歩する。よく晴れた月曜日。渋谷なんか、歩いていればコンビニに突き当たる。タンパク質が摂れるサンドイッチと、飲むヨーグルト。オフィスの下のセブンイレブンでも売ってそうなものを、わざわざ遠くのセブンイレブンで買う。飲み干した乳酸菌が、生きて腸まで届く。
2022-05-29
ご結婚されてますか?と尋ねられて、いえ、と答えると、そうですよね、まさに独身という感じですよねといわれる。どういう意味なんだろうと思うけど、なんとなく言いたいことはわかる。5月にしては夏みたいに暑かった。暑いけど、風が心地よくて湿度が低く、木陰に入ると気持ちのよい天気だった。新しく買った16ミリから35ミリのズームレンズはすごくいい。臨機応変に撮らないといけない場面では16ミリまで広げたら収まるし、35ミリで寄ることもできる。有線イヤホンを忘れてしまい、あわててセブンイレブンでEarPodsを買った。へんなイヤホンを買うより質がいいし、売ってくれていてありがたい。平日は会社の仕事で頭がいっぱいで、休日は個人で請け負った仕事で頭がいっぱいになっている。自分にできることのなかから、もっとも良い回答を返すのに必死になっている。こんなことになるなら事前にもっと準備していたのにと思いながら、引き出しを全開にしてひっくりかえしながら言葉を探してる。
2022-05-26
かつて、渋谷に毎日通っていたころ。ごはんを食べる場所といえば、松屋の牛丼か、リンガーハットの長崎ちゃんぽんか、担々麺の上にカリカリに揚げたスペアリブを乗せた排骨担々麺(こっそり僕は「デブ麺」と呼んでいた)といった感じだったのだけど、それらの思い出の店は、駅前の大規模な再開発によりすべて潰されて更地になった。なんでもないようなチェーン店の牛丼屋だって、20代の青春が詰まっている人もいるんです。それからはマジで昼ごはんに困って、最終的には冷凍食品を詰めた弁当を持っていったりしていたけど。そしたらコロナ禍がはじまって、在宅勤務で昼ごはんに悩むこともなくなり、2年が経過。
最近はやっと出社するようになったけど、あの「デブ麺」もういちど食べたいな… と思い出すくらいは、おいしかった。検索すると、「デブ麺」の正式な店名は「亜寿加」だった。そういえばそんな店名だったような気もする。もっと調べると、実は閉店後に味を引き継いだ人がいて、渋谷の再開発エリアからすこし離れた別の場所に開店したと書いてある。マジか… と思って、思っただけでしばらく忘れていた。で、きょうの、なんもあてのない昼休み、そういえば!と思い出して、ひとりで行ってみたんです。
「デブ麺」改め「亜寿加」改め「Renge no Gotoku」という店は、かつて無料でナンがおかわりし放題でゲラゲラ笑いながら会社のみんなで通っていたカレー屋こと「カンティプール」があった場所の隣だった。「カンティプール」の話もいつかしたいけど、置いておく。その「Renge no Gotoku」とかいう店に入ると、中はふつうの最近のはやりのラーメン屋といった感じ。でも、運ばれてきた排骨担々麺は、まぎれもなくあの「デブ麺」そのものでびっくりした。しかも、店員さんから、ごはんつけますか?と尋ねられる。そうだった。「デブ麺」は担々麺をおかずにごはんを食べる店だった。いろいろ思い出して、ちょっと感動しちゃったな…。ぼんやり歩いたりする道や、てきとうに入ったりする店にも、誰かの物語はあるのだろう。たまたまそれが、僕にとっては「デブ麺」だったのだ。
2022-05-25
柴田聡子の新しいアルバム「ぼちぼち銀河」最高だね。ミクロとマクロの視点をいったりきたりする歌詞に震える。
京都のαステーションというFMラジオ局でも柴田聡子が日曜日の夜に特番をやっていて、僕はradikoの有料会員なのでエリアフリーで聴くことができた。柴田聡子の真摯な話し方はすごく親近感が持てる。YouTubeにたまにあがってるポッドキャストもかなり好きだ。
上海のロックダウンの影響を受けて出荷が遅れていたレンズ、夏あたりとの噂だったので諦めていたが、なんと金曜日に届くらしい。日曜日に撮影の仕事があるので、奇跡的に間に合いそう。音声も録音することになったので、サウンドハウスで残り1個だった32bitフロートのレコーダーも慌てて買った。可変NDフィルターもほしいけど、よさそうなやつは2万円ぐらいするので悩む。仕事のギャラで機材を買って、その機材を別の仕事で使って… という自転車操業。仕事が不安なので機材に頼る。うまくいくといいのだけど。
2022-05-19
ひさしぶりに自転車に乗った。マンションの駐輪場に雨ざらしだったけど、タイヤの空気圧こそ抑えめだったが元気だった。風が気持ちよくて、春と梅雨のあいだのすっぽり抜け落ちた季節を走り抜ける。ずっと趣味がなくて困っていた。好きなことを仕事にしたから、趣味が仕事みたいになっていた。シャッターを切ると、それはほとんどはカメラのおかげなのだけど、思いがけずびっくりするような写真が撮れたりしたときに、自己肯定感が上がるような気がして、写真を撮るのはすごく楽しい。最近は、そんなふうに夢中になることで、人生のタイムラインがもういっぽん増えるような感覚になれるようなものが趣味で、つまり僕にとってのそれは写真を撮ることかもしれないと思いはじめてきた。
2022-05-18
ひさしぶりによく晴れた日で、昼休みに駅前まで歩いた。30分でもいいから散歩するのは大切だ。この5月末で2年前に付与された有給休暇が20日間ぶん消えてしまう気がする。朝から作業しながらtofubeatsの新しいアルバムをずっと聴いていた。踊れるのに音の扱いが繊細で、ポップなのに暗くて、すごくよかった。「難聴日記」も予約したので、届くのが楽しみだ…。これから先、楽しみな予定がいくつかあってうれしい。まず柴田聡子の新しいアルバムが5月25日。ネクライトーキーのセルフカバーアルバムが6月15日。予約した小さなシンセサイザーが5月27日(でも、これは入荷数が少ないらしいので数ヶ月後になるかもしれない)。未来にすこしずつ楽しみな予定をじぶんで作って、現状を乗り越えるライフハック。1年のうち2回だけ期間限定で開園する近所のでかい公園のバラ園を調べたら、今週末までだった。土日は混むだろうし、あしたも気持ちよく晴れるらしいので、写真を撮りに行こうかな〜 と思って会社のGoogleカレンダーに午前休の枠を入れた。