2022-08-09

大戸屋のドアを開けると、店員さんが申し訳なさそうに「ラストオーダーが終わってしまいまして…」と近づいてきて、ガーンという感じで、疲れていたのもあり心の底から残念そうに「残念です…」と返すと、店内で食事をしてる人たちが僕のほうを見て、恥ずかしくなって外へ出た。朝も昼もセブンイレブンのおにぎりだったので、せめて夕飯はコンビニ以外がいいなと思って歩いていると、ひっそりとした死角に餃子の王将の看板があることに気づく。店内に入ると想像の1.5倍ほど広く、あちこちにひとりで静かにビールなどを飲みながら餃子やレバニラを黙々と食べてる人たちがいて安心した。みんなここにいたのか。お世話になります。これはもう打ち上げでしょ、なんのかわからないがとにかく打ち上げでしょと思って、豚カルビチャーハンと、回鍋肉と、餃子を注文。チャーハンを主食、回鍋肉を主菜、餃子を副菜とする完璧な布陣だったが、おなかが空きすぎて先に届いたチャーハンを完食してしまい、回鍋肉を主食に餃子をおかずとする歪んだ定食が誕生してしまう。そういう孤独のグルメごっこを延々とやる。

あしたから日曜まで休みです。このままだとたぶん眠って終わってしまう。会社のトイレで社長と隣になって、夏休みはなにするの?とせっかく尋ねてくれたのに、なんにも考えてなかったですと最悪な回答をしてしまった。しかしほんとに眠くて眠くてたまらない。

2022-08-06

ピンク色の花と、濃い緑色の葉、そして枝が、画面いっぱいに広がっている。それらの隙間に、ピントが外れた光が、玉のかたちになって背景に広がっている。

紫色の花と、濃い緑色の葉、そして枝が、画面いっぱいに広がっている。それらの隙間に、ピントが外れた光が、玉のかたちになって背景に広がっている。

涼しくて助かる。多摩川の途中の堰から小さな川へ分岐していて、その水が近所に流れている。春は水の流れに沿って植えられた桜が満開で、夏はうっそうと生い茂った雑草でいっぱい。たまに手入れされたきれいな花が咲いていて、近隣の住民がたぶん勝手に自分の庭のようにガーデニングしている。

マニュアルフォーカスで写真を撮ることは被写体へピントを合わせるゲームのように思えていたけど、花ではなく枝や葉に合わせてみると、手前や奥にある花は輪郭が失われて、そうやって光に近づいたほうが花らしく見えるようにも思える。花とはいったいなにか、定義が更新されるというか。なんかこの考え方で、いろんなものを撮ってみたらおもしろそう。なにかをつくることは、型を見つけることで、洗練させることは、型を外すことだと思ってる。はやく型を見つけたくて、たくさん試してる。

2022-08-05

お盆休みなんの予定もないし、つくるような気力もないので、いっそ減らして出勤することにした。柔軟な会社でありがたい。ミーティングも割り込みタスクもなく1日ずっと作業できると思うと楽しみ。Slackのメンションの音に、最近けっこうストレスを感じているので。あれを1週間も聞かなくていいって、メンタルにいいかもしれない。誰かやらないといけないのに誰もやらないとき、つい手を挙げてしまいがちなのだけど、自分でやらないでお願いしたらよかったよなと思う。発散より収束を重視するとこうなる。出会えたはずの豊かな発想や、得られたはずのかけがえのない経験を、時間内に収めるなどというどうでもいい予定調和を優先することで壊してしまった。僕はほんとうにつまらないやつだ。話もつまらないし考え方もおもんない。やばいやばい。BADモードです。

いつの間にか眠っていた。窓を開けると、空がゆっくりと明るくなっていく過程の色だった。ベッドに横たわりながら、自分がいなかったタイムラインをぼんやりと眺める。僕じゃなくていいなら、ここにいる必要はない。かといって、どこかへ行くあてもない。必要とされることでしか生きている実感が得られないのは、さみしいことだ。いったい、これからどうしたらいいのだろう。

2022-08-04

深夜の落雷で目が覚めた。しばらくプレッシャーに感じてたことが終わったので、それで気が抜けて、眠くて眠くてたまらない。夏休み、ほんとは2日ほど早めにもらおうとしてたんだけど、タスクの都合でそうもいかず。そのときはいいっすよって即答したけど、だんだんどんよりしてきているのがわかる。毎日3万人とか感染してるのがもはやふつうになってるのに、むしろなんで僕は感染しないのかな。なにか楽しみな予定をつくらないと。ひとりで静かに打ち上げでもしようぜって、雨の中コンビニへ行ったところで、カレーとアイスクリームを買って帰ってくるくらいで、なんかほんとにつまんなくなっちゃった。こんなつまんない日記を書いてごめんね。

2022-08-03

なんだかおかしいなと思っていたら、シャツのうしろとまえを反対に着ていた。そんなこと思わなくていいとわかっているのに、僕が手がけたせいでチャンスをむだにしてごめんなさいって思っちゃう。どんなに成果が微妙で、達成感もなかったとしても、向いていないと思ったとしても、また打席に立たなくちゃ。小さな背伸びを繰り返せば、やがて背が伸びていることを信じながら。努力はかならず報われるといった言説は、報われた人のポジショントークだから聞かなくていい。ほんとうに話さなければならないのは、報われなかった夜の過ごし方なのだから。好きで選んだ悪夢を、どの岸にも辿り着かないまま、ゆっくり泳ぎつづけている。

2022-08-02

オンラインのミーティングを終える直前って、誰も話さない時間があるじゃないですか。誰も話そうとしないことをみんなで確認してから場を終えるということなんだけど、そういうミーティングを終えるたびに一発ギャグでもやればよかったなって思うよ。僕がいてよかったなってみんなに思ってほしいんだ。この仕事は、僕ではない人がやったほうが、もっとうまくできるのに。でも、ここには僕しかいないので。だから、そんなことは考えなくていい。考えないでやるしかない。疲労、睡眠不足、暑さ。おやすみなさい。

2022-08-01

からだはメチャクチャ疲れているのに、なんだか気分がよくて、自転車をこぎながら鼻歌をうたってしまう。どこまでもまっすぐな暗い道、遠くの夜空が点滅している。雷鳴は聞こえない、それだけ遠くで雨が降っているのだ。憑きものがとれたみたいに、他者と関わることの、なにもかもが楽しくて。「演じる」というキーワードを手に入れたからかもしれない。べつに嘘をついているわけではない。なりたいすがたを演じていれば、自然とそのようになっていく。どれだけ乖離があったとしても、その過程だと思えばいい。そういうことを、照れずにやる。ずっと僕に必要だったのは、孤独を信じない、それだけのことだったのではないか。

2022-07-31

頭まっしろで手探りの状態から、ゴールは見えたような気がするのだけど、土日は終わってしまった。フジロックの配信がずっと寄り添ってくれて、ほんとにありがたかった。日本語ラップの文脈とか人間関係とかぜんぜんわからないのだけど、PUNPEEのライブすごくよかったな。この2日間で、知らない良い感じのバンドもたくさん教えてくれて、ありがとう。Apple Musicで探して聴こう。

7月、もう終わりなのか。いまって夏なんだっけ。ずっと涼しい部屋にいる。青森のりんごの倉庫をリノベーションしたらしいなんかおもしろそうなところでやってる池田亮司のインスタレーションと、青森県立美術館で皆川明の展示をやってるっぽくて、ほんとはそれをはしごして行きたかったんだよな。しかし、青森まで行くのは許されるのかしら。行きたいのはやまやまだけど、感染的な事情でキャンセルする羽目になったらめんどくさすぎてなにかを予約しようとする気がおきない。関東近郊で、思い立ったら行けるような距離で、なんかおもしろそうな展示やってないかな。水戸芸で立花文穂展、神奈川県立近代美術館でアレックソス、千葉市美術館の企画展もよさそう。小旅行くらいのノリで、なんかどっか行きたいし、うまいもの食いたいぜ。お盆休み、なんの予定もないのよね。

2022-07-30

来週の資料がぜんぜんできてなくて、胃がキリキリする。単純に知識が足りないのと、平日にやる時間をつくれないのも、能力の低さが露呈してつらい。しかし、こんなチャンスでもないと勉強しないので、こういう機会をもらえたことに感謝しかないです。

Twitterで相互フォローの方に何名かおそらく医療に従事されている方がいて、この状況に対して過酷な対応に迫られている様子が垣間みえてしまうのもあって、そんなときにふつうに考えたら感染者がひとりでも増えてしまうような大きなイベントで盛り上がっている様子をどのような気持ちで見ているのかなと想像すると、具体的にはフジロックのことをツイートする気持ちにはなれない。昨年も、個人的にはフジロックは開催しないでほしかったし、オリンピックも中止してほしかった。命がもっとも大切なのに、それ以外のものが優先されたり、優先することをやむをえなしとするようなメッセージが発信されるものに、すべて加担したくなかった。だから、中止できないなら、せめてもの意識的に無視することにしていた。それがたとえ感染しないし、感染させることもないYouTubeの配信ライブだとしても。

とはいえ、音楽に罪はない。というか、音楽はすばらしい。昨年は出演をキャンセルした折坂悠太もライブ中のMCで触れていたけれど、みんながそれぞれ試しながら、折り合いをつけていくしかない。ミュージシャンの人たちはほんとうにひとりずつが魅力的で、魅力的な人たちが演奏する魅力的な音楽によって、この世界が生きるに値すると希望を感じられる人はいるのだろうし、僕もそのひとりだ。そうやって気持ちに折り合いをつけるための言い訳をしながら、今年は部屋でフジロックの配信を流しっぱなしにしている。僕がツイートしようとしまいと、YouTubeを見ようと見まいと、考えすぎだと思いつつ。崎山蒼志くん、かっこよかったな〜。そして、俺だって苗場?とかいうところに行きたいし、行こう。これからは、いつかやりたいと思っていたことを、全部やる。なんだってできる、生きてさえいれば。

2022-07-28

渋谷で働きはじめて10年経つが、いまだに道玄坂がどの坂なのかよくわかっていない。それよりも、ユニクロのある坂とか、丸亀製麺の前の坂とか、コンロウっていうおいしいタイ料理屋がある交差点のところの坂、とか言ってもらったほうがいい。というような道玄坂と、車がビュンビュン通ってる首都高速との、ちょうどあいだくらいにあるのが「おがわ」という店で、雑居ビルの1階の奥の、すれちがえないくらいに細い階段を降りていった先の、地下1階のつきあたりにある。そんな一見さんは到底たどりつけないようなひっそりとした立地だから、中に入ると車の音もしないし、人の声もしないし、あるのは小さな音で鳴っているAMラジオのNHKのニュースと、お母さんが鍋に火を点けたり、食器を洗ったりする音と、相席している知らない人の食事の音だけだ。

「おがわ」は、お母さんと呼ばれている年配の女性がひとりで切り盛りしている小さな店で、カウンターは6人も座ればいっぱいになる。ランチ営業の「おがわ」にはメニューがなく(実はあるという噂も聞いたことがあるが、頼んでいる人は見たことがない)、こんにちはと挨拶したらなにも言わなくても茶碗いっぱいの白米(ガスで炊いているので、めちゃくちゃおいしい)と味噌汁(昆布がしっかりしていて食べごたえがある)、やがて日替わりの主菜(きょうはトマトで煮込んだ夏野菜だった)が出てきて、カウンターの前にある副菜(だし巻き玉子、焼いたししゃも、切り干し大根など)はビュッフェ形式で好きに取って食べていいというシステムになっている。お母さんに勧められるがままに白米をおかわりして大満足で食べ終えると、最後にお手製の紅茶の寒天が出てくる。お母さんと顔なじみの常連客は、みんなひとりで黙々と食事をしていて、ごはんを食べながらスマホを見ている人はいない。帰りに1000円札を渡して、みんなお母さんとささやかな世間話をしてから、ごちそうさまでしたとお礼を言って、ひとりずつ帰っていく。

「おがわ」に行ったのは、相当にひさしぶりで、たぶん3年ぶりとかで、正直まだあるのかなとか不安だったのだけど、しかし、店も、お母さんも、まったくなにも変わっていなかった。店の中心にたたずむお母さんを取り囲む半円のカウンター席は、反対側に座って黙々と食事をしている知らない人とも食卓を共にしているようで、そんな場所で切り干し大根を食べていると、この店は、じつはタイムマシンで、ここだけコロナ禍の前で時間が止まっているような気さえした。