24歳の僕に声をかけてあげられるとしたら、34歳になったら、すてきなこと、心を震わせるようなこと、生きていてよかったと思えるようなことが、毎日あるよと言いたい。28歳の僕にも、32歳の僕にも、僕じゃなくても。だから、がんばって。なにも間違ってないよ。続けることしか未来の伏線にはならないよ。祈ることしかできないけれど、みんな、どうか、うまくいきますように。
2023-05-16
前提として、つくることのプロセスに正しいも間違っているもない。より速く、よい低いコストでゴールへ到達できるのか、その確率をどれだけ高められるのか、再現性の高い手法が共有されているのであって、正しいプロセスを踏めば正しいものができるわけではない。
必要とされているのは、創造だ。新しい市場を生み出す創造が、またはアイディアをかたちにする創造が、それともチームがひとつになれる創造が、あるいは想像もつかないような創造が。この状況を打ち破るような、創造が必要なんだ。
サブスクで働く僕たちが、午前10時から午後7時までのあいだ、どうすれば創造的でいられるのか。さまざまな背景を持った多様な人たちが集まるこの場所を、どうすれば創造的にできるのか。その回答になるような手がかりに、きょう、なんとなくだけど、すこし触れられたような気がして、うれしかった。思いついたら、すぐに試す。結果を取り込んで、べつの手法で検証する。とにかく手を動かして、よく見つめる。たくさんの可能性から、総当たりで絞っていく。絞るなかから、それは生まれる。あたりまえのようだけど、つくるプロセスのなかに、創造はある。
2023-05-05
壁にかかったカレンダーは3月のままで、気がついたら5月。5月の気候は最高。よく晴れて、すこし暑いくらいにあたたかく、湿度が少なくて気持ちがいい。こんな最高の時期に祝日を集めて大型連休にしちゃいましょうよと企画した人はすごい。春から新生活を迎えた人たちにとっても5月の連休なんてファーストステージをクリアしたセーブポイントみたいな役割だろうし、レベル12というか社会人12年目の僕だってそろそろ1週間くらい休みたかったです。初日と2日目はだらだらと豊かな時間を過ごし、3日目は展示でも観にいきますかということで東京オペラシティアートギャラリーの今井俊介展へ。ばかみたいな感想だけど、でかいキャンバスに色が塗ってあって、その前に立つと癒やされる。色がきれいだったので図録を買おうかなと思って立ち読みしたが、印刷ではくすんで再現できてなかったのでやめちゃった。じぶんの仕事に照らしてみると、僕たちはスクリーンという発光しているメディアを扱ってデザインしているのだから、もっと鮮やかで動いて楽しくてもいいよねと思えるような展示だった。
朝からJ-WAVEで坂本龍一の追悼特番をやっていて、ずっと聴きながら電車に乗ったり初台から新宿まで歩いたりした。生前に関わりのあった人が次々とゲストとして登場し、不在の人との思い出や、功績をふりかえる。コメントやトークのあいだに残された楽曲が挿入され、または録音された本人の声も流れる。そんな音声が、スカイツリーから電波となって放たれて東京中のあちこちの空気を満たしていると想像すると、たとえ受信機を持っていなくても、ラジオってすごくおもしろいなと思った。坂本龍一でなくても、たとえば毎週日曜日は朝から晩まで、あるアーティストだったり、あるバンドについて、みんなで話すような番組があってもいいだろうな。
ほんとうに僕がやりたいのは、ゆっくり時間をかけて、だれかの話を聴いてみたい。情報を得るためではなく、等倍で、おなじ時間を過ごすために。だれかの日記を読んだり、ポッドキャストを聴いたりするモチベーションは、そういう気持ちの延長線上でつながっているような気がする。そして、そういう気持ちがどんどん弱まっているようにも思う。コミュニケーションに対する憧れというか、飢えのようなものが、満たされつつあるのかもしれない。
しめきりを設定しないといつまでもかたちにできないので、なにも考えてないが11月の文学フリマ東京へ出店を申し込んだ。前回は2018年だったので5年ぶり。撮りためた写真を使ってポエジーに関する研究の成果をまとめるか、それに詩も載せてちょっとした詩集を編んだりしようか、どうしようかなって考えてるうちに11月になってそう。楽しいなあ。だれからも求められていないものをつくるのってほんとうに楽しいよね。生計を立てる仕事とはべつに、つくる場があるのは大切だ。
2023-04-13
年齢を重ねるごとに、どんどん生きやすくなっている。自由に使えるお金が増えたり、人間関係が広がってきたり、自意識が減ったり、要因はさまざまあるだろうけど、なによりも手放すのがうまくなっているような気がしてならない。仕事が速い人は、作業が速いのだとずっと思っていた。しかし、その実態は、早くやればやるほど効果が高いことを先にやっているだけで、周囲は効果が高いことしか見えていないので、だから速く見えているという仕組みなのではないか。ようするにすべてをやっていないのであって、すべてをやりきる時間などあるはずないのだし、だから優先順位をつけるのがうまいのであって、つまりは優先順位が低いものから手を放すのがうまいのだ。いちど掴んでしまったものを放すのはむずかしい。それがやっと見つけたものであれば、なおさらだ。でも、あらゆるものは、いつでも、なんどでも、手放していい。その手で、また新しいものを掴めばいい。
2023-04-11
暖かくなってきて、服がない…。お得意のインターネットで調べて買う気力もない。この冬は着心地のよいユニクロのスウェットを2色×2枚買って、その4枚をローテーションしていたら終わっていた。もしかして、僕ってわりと変な人なんだろうか?オフィスで汗だくだくになりながら毎日おんなじような分厚いスウェットを着て、朝早くから窓際の席でディスプレイをにらみつけている変な人。異動してもう4ヶ月になるが、そういえばなにもしてなかったので… ということで、前の部署の方々からフィナンシェの詰め合わせをもらった。うれしい、すごくうれしいけど、ふしぎな気持ち。オフィスから10分くらい歩いたところにある個人経営ぽいひっそりとしたうどん屋の、冷やしぶっかけうどんがおいしかった。梅干しが入ってた。忙しい。疲れた。こころを回復するためのルーティンとして、30年前に発売されたゲームを10分くらいやってから眠る。こんなことやったって、なんにもならなければならないほどいい。ふと我に返って、あらゆることがアホらしいと思えても、投げ出さないで取り組むための、無駄の貯金をしておくということなので。すべてに理由が存在し効率化と生産性を求められる世界を生きる。帰りの電車で、好きなアーティストの好きなアルバムがApple Musicから消えていることに気づいて、Amazonに残っていたCDの在庫を注文する。
2023-04-04
仕事をしながら繰り返し考えているのは、どうすればこの場所がもっと豊かになるのか、そのために自分は微力ながらどんなふうに良い影響を与えられるかということで、それは、ほんとうにささやかな行動の積み重ねなのだと思う。静かな水面に波紋がゆっくりと広がるみたいに、良いことも悪いこともすべてがメッセージになって周囲の人たちへ伝播していく。どうすればムーブメントを作り出せるのか?というと、つまりはそのほうがおもしろいから、ワクワクするから、楽しいから、ぜったいそのほうがいいじゃんって思えるかどうか。ときに直感はロジックを超えるけど、しかし直感こそロジカルに戦略的に作り出せるものなのだ。そして、その戦略とは、ミーティングでは話してる人の目を見て最後まで話を聴くとか、ほんとにそういうことなのではないか。
友達が、Twitterをやめます、アカウントは残しておくので連絡したくなったらDMくださいってツイートしていて、かっこよかった。僕も最近のTwitterのプラットフォームとしての態度には寒いと思っているし、もはやそんなに見てすらいないけれど、それでもやめますなんて言えないのは、なんでだろう。こんなにもりあがる前からずっと使っていたサービスだし、それなりに愛着もあって、でも今は名前がおなじだけで別の場所になってしまったような気もするし、なんかほんとに、ただただ、さみしい。
2023-04-03
移動の時間も作業にあてたくて在宅勤務させてもらう。間に合うかどうかギリギリの時間でも、ランナーズハイというか作業ハイで楽しくなってきて小ネタを仕込んでしまう。そういえば今月から勤続12年目に突入してるわけなのだが、いい感じでさまざまなことが適当になってきているというか、肩の力が抜けてきているようで、これはすごくいいことだと思っている。12年目にならないとたどりつけない境地に達している。せっかくなので、これを自覚的に武器として使って、もっといい仕事をしたい。いい仕事とは、いっしょに働いている仲間のテンションがグッとあがるような仕事。じぶんたちがこの事業をやっている意義があると実感できるような仕事。いまの時代に対してアンサーになりえる価値を世界へ届けるような仕事。それら以外の、すべての仕事。昼ごはんはセブンイレブンのとろろそばとカレーパン。夕飯はセブンイレブンの焼きそばと和風ポテトサラダ。
2023-04-02
連休4日目なんだけど、来週以降のスケジュールを考えると怖くなってしまい、あらかじめ下調べや細かなタスクを終えておく。おかげで間に合いそうな道筋が見えて、ちょっと気持ちが落ち着いた。有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMERを聴きながら作業していると、途中で坂本龍一の訃報が知らされて、部屋でひとりで声が出た。先日のJ-WAVEの番組も本人不在のまま最終回だったし、もしかして相当悪いのかな?と思ってたけど、ショックだった。残されたものがあまりにも膨大なのですべてを知っているともいえないけれど、自分にとってかなりかっこいい存在だったので。子どものころピアノの習い事の発表会でエナジーフローを演奏したりとか、初台のICCに行って水槽を下から眺めるみたいなインスタレーションを観たこととか、いろいろ思い出したりした。
そろそろ次の出張の日程を決めて、もろもろ申請して宿とか手配しないと。ほんとうは来週あたりの日程で考えていたのだけど、なんか気がついたら来週になっててぜんぜん準備ができてなかったのでたぶん無理そう。せっかく出張というカードを使わせてもらえる権利を得ているので、最大限に有効活用したい。きょうの昼ごはんはカップ焼きそば、夕飯はオリジン弁当。独身男性っぽい食事すぎる。ひさしく自炊をしていないし、頭の片隅に自炊に時間を使う余裕を持てない状態。
2023-04-01
会社を休んで、1泊2日の小さな旅行へでかけた。たぶんひとりだったら行かない場所へ、おそらくひとりだったら泊まらない宿に泊まって、もしかするとひとりだったら食べないようなものを食べて… すごく楽しかった。
たくさん写真を撮った。今回の旅ではカメラを2台もっていって、1台は小さな軽いオートフォーカスの効くカメラ、もう1台はフルサイズのちょっと重くてマニュアルフォーカスのオールドレンズをつけたカメラで、これらを記録と研究で使い分けた。この「記録」と「研究」という使い分けが、じぶんのなかで腑に落ちた。旅先でごはんや風景を撮るのは、あとで思い出すために記憶へくさびを打つような写真で、そういう写真はいつでもポケットからカメラを取りだしてピントを合わせて撮るほうがいい。いっぽうで、そうではない写真、写真を使って考えるために撮るような写真は、やはりそのためのカメラを使うのがよいと考えた。
記録と研究の使い分けは、文章にもあてはまるように思った。日記を書くのがどうしても続かないのは、目的に沿わないカメラを取りだしているからなのかもしれない。あるいは、僕は記録には興味がないのかもしれない。
2023-03-11
1年前くらいに買ったAnalogue Pocketという昔のゲームのカートリッジを刺して遊べるゲームボーイの互換機が、買ったものの人気で生産が追いついてなくて、2ヶ月前くらいにやっと届いた。届いたものの忙しくて気持ちが追いついてなかったのが、ついにそれも落ち着いたので、ようやく最近ちまちま触っている。
子どものころはゲームボーイを持っていなかった。おなじ団地に仲のよい同級生の友達がいて、その子の家に毎日のように集まっては、ファミコンにアダプターのようなものをかませてテレビでゲームボーイのゲームで遊んでいるみんなの様子を、うしろから見て楽しんでいた。いまでいうゲーム配信を観ているような気持ちだったのだろうか。とはいえ、それから20年以上経って、あのころみんながやっていたゲームを、自分がやっているのは不思議な気持ちになる。もしかすると、ほんとは僕も遊びたかったのかもしれない。
あんまり知らなかったのだけど、ゲームボーイのカセットはいまでもけっこうふつうに買える。もちろん中古だけど、Amazonでも買えるし、リサイクルショップに行けばだいたいコーナーが設けられている。なんにも予定のない休日は、電車に乗って郊外のリサイクルショップを目指す。こういう店はだいたい駅から離れた大きな通りに面していて、すこし季節を先取りした暖かい気候のなか、散歩の目的地としてもちょうどいい。
知らない駅で降りて、知らない街を歩く。時計を見ると、14時45分だった。そういえば地震があったのって、このくらいの時間だ。ポケットにいれたiPhoneからradikoを開く。TBSラジオでは特別番組をやっていて、リスナーから寄せられた12年前の震災の体験談のメールが読み上げられているところだった。radikoは再生が途切れないように設定すると遅延がひどくて、実際の放送時間から3分ほど遅れて聞こえる。だから、14時46分から3分ほど遅れて、ラジオのパーソナリティたちといっしょに、歩きながら黙祷を捧げることになる。黙祷しているあいだ、ラジオはBGMも流さずに、スタジオのなかの物音だけを静かに放送していた。
知らない街の、知らない川には、水面に春の光が反射していた。そんなことは、その街の人たちにとっては、ありふれた風景なのかもしれなかった。10年とか20年とか、自分が体験してきた時間のなかを、なんどでもいったりきたりする。ゲームボーイのカートリッジやきらきら光る川の水面が、あの日を思い起こさせるタイムマシンになる。早咲きの桜を見つけて、写真を撮る。これもまた、誰かのありふれたタイムマシンなのかもしれないと思う。