鹿スタディーズ

越谷市科学技術体験センター ミラクル友の会 会員

YouTuber になりたい (2)

「とんねるずのみなさんのおかげでした」が終わって、曜日の感覚がおかしくなった。いつものようにコンビニで、あしたにはなにを食べたのか忘れてしまうようなものを買ってきて食べる。それで、おもしろいテレビをやっていなかったら、 YouTuber の動画をみることになる。

ぼくの YouTube のホーム画面には、会ったこともない人たちによる日常の風景が、レコメンドされてあふれている。そのなかのひとつ、 20 代前半と思われる広瀬すずに似た女性の動画を再生する。趣味は自作 PC の組み立て。車とカメラに興味があり、部屋の模様替えを配信し、机の下のケーブルを整理している。そんなに頻繁にカメラやレンズを買って、なんでお金を持っているんだろう。学校にも通っていないみたいだし。友達はいるんだろうか。しかし、そのことについてはなにも触れられず、広瀬すずに似た若い女性が CPU の性能について語っているという、きわめて具体的な描写だけがここにはある。

広瀬すずは、このあいだひとりで箱根へ旅行にでかけた。その夜、宿に到着するのが遅れた彼女は、せっかく箱根まできたのにコンビニで買ったごはんを食べることになった。広瀬すずが、あしたにはなにを食べたのか忘れてしまうようなものを買ってきて食べている。それをみて、ぼくは YouTuber という存在がなぜ広く認知されるようになったのか、わかったような気がした。

YouTuber には、すこしの寂しさがある。そして、ぼくたちにも、すこしの寂しさがある。 YouTuber は、そんなぼくたちの、すこしの寂しさに寄り添っている。ぼくも YouTuber になりたい。

YouTuber になりたい

いまさらながら、 YouTuber の動画をみることにハマっている。これまで、あんまりそういう動画をみたことがなかった。なかったというか、ああいった動画をどういう態度でみたらいいのか、よくわからなかった。しかし、最近になって、すこしずつ、だんだん「わかる」ようになってきた。味覚が、大人になってきたのだ。

ぼくがいま毎日チェックしているのは、サンフランシスコに住んでいるおじさんだ。おじさんは日本人である。おじさんの動画は日記の形式を採用していて、もう 500 本もの動画をアップロードしている老舗であるが、腰痛なので鍼治療へでかけるとか、近所のカフェで日本食を食べるとか、どれも基本的にオチはなく、退屈な内容である。しかし、ものすごくおもしろい。

おじさんの動画は、だいたいまな板に置かれた野菜のアップの画からはじまる。にんじん、ほうれんそう、ビーツ、あとバナナとか… 次のカットで、野菜たちがミキサーにかけられる。そのあと、おじさんはスムージーを片手に感想を言って、最近届いた Amazon の荷物を開封したり、出張の荷造りをはじめたりする、どうでもいい映像に切り替わる。

いいなあ、と思う。ぼくも YouTuber になりたい。

演劇から 2017 年をふりかえる

1/14多摩美術大学演劇舞踊デザイン学科1期生「大工」
1/28劇団地蔵中毒「無教訓意味なし演劇vol.5 第一次『へその緒再生プロジェクト』」
2/4東葛スポーツ「東京オリンピック」
5/3マームとジプシー「sheep sleep sharp」
6/7「ひびの、ひび/3×3=6月。9月じゃなくて」
6/17チェルフィッチュ「部屋に流れる時間の旅」
7/9マームとジプシー「クラゲノココロ」「モモノパノラマ」「ヒダリメノヒダ」
7/17マームとジプシー「ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと――――――」
7/23マームとジプシー「あっこのはなし」
7/29マームとジプシー「夜、さよなら」「夜が明けないまま、朝」「Kと真夜中のほとりで」
7/29「ハロースクール、バイバイ」
8/20ままごと「わたしの星」
10/14柴幸男「わたしが悲しくないのはあなたが遠いから」
10/21川原卓也+関真奈美「PJB」
10/28高山明 / Port B「ワーグナー・プロジェクト ニュルンベルクのマイスタージンガー」
11/4高山明 / Port B「遠くを近くに、近くを遠くに、感じるための幾つかのレッスン」
11/11ロロ「父母姉僕弟君」
12/9チェルフィッチュ「三月の5日間 リクリエーション」
12/17マームと誰かさん「ぬいぐるみたちがなんだか変だよと囁いている引っ越しの夜」
12/23多摩美術大学演劇舞踊デザイン学科1期生「大工」

いったい演劇とはなにか、どこからどこまでが演劇なのか、そんなことを考えながら Gmail に残った予約メールやツイートをさかのぼってふりかえってみました。ことしは大工にはじまって、大工におわった一年だったんだなあ。

演劇は〈想像〉のやりとり、とはリクリエーション版の「三月の5日間」の戯曲のあとがきで岡田利規が語っていたことばだけど、人間のからだというきわめて具体的なものをつかって、抽象的なかたちのないものを描いていることに、やっぱり熱狂してしまう。演劇の考え方は、ほかの表現や、ふつうに仕事に役に立つと思うし、べつになんにも役に立たなくてもいいんだけど、ぼくにとってはじぶんのよりどころになっている。2017 年までもそうだったし、これからもそうだなと確信できるような 2017 年でした。

ぼくが熱狂してやまない演劇、あるいは映画、それとも現代美術、または詩、あるいはインターネットを、来年も見つけてはツイートしていきたいな。じぶんがやっていることの先にあるものと、いまをつなげることが、観客としてのぼくが担っている仕事なんじゃないかな。だから、来年は、読んだ本とか観た映画は、ちゃんとはてなブログで記録していこう…。

11/8

会社の地下の駐車場で火災があって、警報音が鳴り響くなかみんなで慌てて外へ出ると、ビルのなかにいた人たち(他の会社のぜんぜん知らない人たちとか、オフィスのほかにホテルもあるので、料理中の白衣を着た人たちとか、吹奏楽の楽器を持った学生たちとか)が全員集合していて、不謹慎ながらおもしろかった。

いちども顔を合わせたことがないけど、おなじ建物でおなじ時間を過ごす僕たちが、ある事件をきっかけに、すべての作業を中断させられて出会っている。ばらばらな僕たちにとって、いま誰かと共有できる物語なんて、地震が起こって「ゆれた」ってツイートするとか、会社の地下で起こる火災ぐらいなのかもしれない。

非常階段を降りながら、田中功起のビデオを思い出してた。この階段を降りるだけのビデオがなんでこんなにおもしろいのか、ちょっとわかった気がした…。

11/7

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昼ごはん、東急の地下で買ってきたおしゃれなサンドイッチ、おいしいけど、かつて大好きだったなにかの味に似てる… と思って、よく思い出したらピザまんだった。

トンカツ屋で隣の席に座ったお姉さんが、テーブルに置いてあるチリソースの瓶を持って凝視してたので、ドレッシングですよ、と教えたら小さな声で「テンキュー」と言われた。

11/6

はてなブログの Pro プランを契約してからちょうど 1 年… で、静かに契約が切れて、ブログが見えなくなってた。 CNAME の設定が消えちゃうんだなあ。なんとなくもう 1 年契約したけど、せっかくお金を払ってるし、ちゃんと日記を書こうという気分になった。インターネットに自分の場所を維持するためにお金を払う。ウェブサービスはたいてい無料でも使えるけど、もちろん有料で使うこともできる。どんなふうに生きるのかはわたしたちに委ねられている。部屋を借りて家賃を払う、そのお金はただ部屋に住むことの価値との交換ではなく、わたしたちがこの街に住みたい意思の表明でもあるはずなんだ。僕は、はてなブログが好きだ。

日ポン語ラップの美ー子ちゃん、ぜんぜんラップを聴かない僕でもおもしろい。紹介されているそのものに興味がなくても、熱狂している人の言葉がおもしろいのだ。

10/18

価値は目に見えない。目に見えないものを取り扱うには、インターフェースがいる。お金は、価値を持ち運べるようにしたインターフェースだ。フォロワー数も、価値を数値へ変換できるようにしたインターフェースのひとつ。お金もフォロワー数も、価値そのものではなくインターフェースでしかないので、インターフェースどうしを交換しても価値は手に入らないのではないかと思う。肩たたき券を何枚もっていても、肩たたきという愛が手に入らないように。

7/18

「ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、 そこ、きっと──────」を観た。すばらしかった。

演じることは、人間のからだを使うから、きわめて具体的だ。かたちがあるからだ。そのかたちは、観る人も持つ、誰もが持つ、同じからだが用いられている。同じかたちを持っているから、想像できる。演じる人の痛みが、観る人の痛みになる。演じることが、観る人を演じることになる。きわめて具体的に、抽象化されたわたしたちの痛みが演じられる。

7/10

マームとジプシーが結成 10 周年を記念して、全国 6 都市をまわって過去の 4 作品をもういっかい上演している。まず埼玉公演があって、ぼくは 4 作品セット券を買ったので、毎週みることになった。それで、きょうが 1 日目の「クラゲノココロ モモノパノラマ ヒダリメノヒダ」。

マームとジプシーの作品は DVD などで映像が販売されていない。 WOWOW とかで放送されていたこともあるらしいけど、もういちど観たいと思ったら観にいくしかない。観にいくといっても、毎回ちょっとずつアップデートされているので、同じものはもう観ることができない。きょうの「クラゲノココロ モモノパノラマ ヒダリメノヒダ」は、もともとはそれぞれ「クラゲノココロ」「モモノパノラマ」「ヒダリメノヒダ」というタイトルで公演されていたものを混ぜて 1 本にした… という作品で、このリミックスした作品の公演自体も 2 回目で、僕はそれぞれの公演も観たし、この公演も 2 回目だ。

マームとジプシーの演劇には、リフレインと呼ばれる、なんども同じ台詞を繰り返したり同じシーンを繰り返す演出がある。ふたりが話しているシーンが終わったら、お互いの場所を入れ替えてもういっかいやってみる。映画のカメラはカメラが動くことがカメラワークだけど、演劇で席に座ってじっとしている観客にとっては、演じる人たちの何度も繰り返す動きがカメラワークになる。そのたくさんの視点によって、きわめて具体的な人間の身体を使いながら、抽象的に場が描かれていく。

マームとジプシーについて、そんな演出のおもしろさばかりをまずは話してしまいがちだけど、きょう観て思ったのは、やっぱり役者の人たちが魅力的だった。たぶん、演じるということは、与えられた役に自分を消してなりきることではなく、役者がどれだけ自分の個性を消さずにその場に立っていられるのか、試されているのではないか。何回も観ているので、次になにが起こるか知っている。それでも何度も心を揺さぶられるのは、自分が座っている席と地面がつづいたすこし先の舞台で、同じ身体をもった人間が、わたしとわたしではないものをいったりきたりしながら立っている、その繰り返しの運動を観ているからだ。

セブンイレブンの店頭で義援金を受け付けているのを見て、きのうの九州の被害がひどかったことを知った。雨が降っていることしか知らなかった。帰ってテレビをつけて、セブンイレブンのカツ丼を食べる。雨はいまも降りつづけていると、テレビが言っている。